てっぺんが無い山

武道についての色々考えと悩み

学ぶこと

『やらねば人は動かじ』が良い

  正しい事を教えて、

    やって見せて、

      聞かせて、

        させて見て、

           誉めて、

             確認させること。

羅針盤

山を登る時に今正しい道に歩いているのかが羅針盤を使います。

自分に対して、武道を学ぶ事はてっぺんが無い山という言い方をよく言っていますが、もし迷ったら一般的な山よりもっと危険と思われ、無限に登らなければならない事によって道が間違えたら戻れない可能性もあり、気を付けるべきですね。
によって、自分は今何処迄に登るかを定期的に確認も必要し、その時に大会は1つの羅針盤と思って大切な事です。

その目的でいつも大会に参加したいと思いますが「勝ち/負け」が目的ではなく、勝っても負けても構いませんし、どっちも勉強代として大事な登る目印になりますが目的は今歩いている道を学ぶ事と大体何処迄行ったかと思います。

試合の時の問題は自分が今まで登った時に学んだ事を自分の技に正しく証明が出来るか、始まりの礼から終わりの礼迄の態度、技若しくは動作の平常心、そして自分は楽しいかどうかですね、私達の相手は自分ですから生きる限りその相手と戦い続けて、その相手と共にてっぺんが無い山に登ります。

なんで剣道や居合道?なんで刀なの?

よく聞かれた質問はなんで剣道や居合道?そもそもなんで刀なの?、とか、
未だ色々分かりませんけど、日本語で説明すると非常に難しいし、私にとって武道はやっぱり平和のためなんですね、人と人の付き合い、そして仲良くの流れを作り、楽しく人生を正しい方法で行こうとの道かと思って、人間形成の「道」だと思います。
 
自分は先生に言われた覚えがあり、人間形成は、とても時間がかかり簡単ではないと思い、長い年月をかけて作り上げていくので「道」になり、その過程で、間違った道に入る時もありますが、またやり直せば良いです。人はそれぞれですし、誰でも間違える事はありますし。大事なのはもっと正しい方法を気づいて正しい道に戻る事です。
 
本件について、別の先生からの言葉もいつも覚えていますが、戦国時代を経て、生きるために人を殺していた刀を人を活かすために使うようになって、自分自身が正しい道を歩くために刀を使うことが今の私達の求める武道と刀ですと。

上記の考えを今でもその通りと思っております。

 

※現代で鍔はお守りのように